<宣教に伺った教会より

  • イッピー活動の紹介というより、まさに宣教のお働きだったと思います。 教会に2回目の子達もイエス様に近づけられていました。 すばらしい働きですね。私の教会も一緒にこの働きに加えていただきたいと思います

 

  • イッピーの皆さんから賛美する力、証しする力、司会する力、仲間がいる力・・・などいろんなパワーをもらえたんじゃないかと思います。

 

  • 賛美はいつも楽しく元気に歌っているのですが、あんなに大勢で歌ったのははじ めてだったので新鮮でした。 本当にこのような集会が実現できたことは、大きな一歩になったと思います。

 

  • 子ども達も自分と同じ学年の子が実際にやっている姿を見ることは、一番の刺激、励ましになりますね。「ああすればいいんだな」とか「あれなら僕にもできるかな」とか分かりやすく学べたと思います 。

 

  • 宣教に来て頂いて以来、教会の子どもたちは、賛美で神様を喜び伝えていくということに、目を開かれ、燃やされています。また、セルを中心に関わりを持ってきた家族たちが、高い関心と感動を持って、集まって来られました。 ある男性は、日曜日の朝の練習風景を見たときから、感動で涙が止まらなかったそうです。未信者のこのご家庭で、あの日以来、毎晩、ビデオが流され、お父さんと子どもたちがイッピーの歌を歌っていると、聞きました。このような流れの中で、Oちゃんには、受洗の決心が与えられました。イースターの洗礼式にむけて、準備が始まります。 教会のメンバーたちも、「伝道すること」「自分の体で神の栄光を現すこと」に全身で取り組んでいくこと、イッピーから、多くの刺激を頂きました。 そして、私の教会でもイッピーの活動を始めたいと思います。

<CDを聞いた方からのお便り>

  • CDを聞くだけで、心が温かく満たされています。        Aさんより

 

  • イエスあなた大好きのフレーズに、涙しました。生きる希望をもらいました。被災地より

 

  • 一人で往復3時間の運転も、頂いたあの素晴らしい、イッピーの歌をずっと聴いていて、まったく眠くもならずに快調なドライヴでした。すっかりファンになった~!訳も音楽によくあっている、子供達の純粋な声、心が洗われるようなメッセージ、すなおに自由にでも心のそこから歌ってくれている、本当に感激しました。クリスチャンとして成長していくのに必要な霊の糧がぎっしり詰まったCDです。音楽的にも本当によく出来ていると思いました。生まれたばかりの孫にイッピーを聞かせながら育てていきます。やった~!欧州在住 APより

             イッピーのDVDを見て>

2012年の夏、私は長年続けた仕事を辞めて、周囲の反対を振り切って、先も分らず、1人日本からフィンランドへ向かいました。旅の目的は二つ、一つはフィンランドで絵を学ぶ事、二つ目は神様の準備してくださった道を見つける事。およそ3ヶ月の放浪を経て、ヘルシンキで、友人に薦められ制作途中のデモを見せてもらった時、正直最初は、何の考えも期待も持たずに観ていました。日本への帰国を数日後に控えた時でした。

 

子ども達が神様のことを語るDVDいったいどんな内容なのだろう。そんな軽い気持ちでした。私は丁度そのとき、自分がイエス様の道を選ぶべきかとても悩んでいた時期でした。すると不思議なことが起きました。涙がどんどん出てくるのです。あれ、なんでこんなに涙が出てくるんだろう。自分でもよく分りませんでした。苦しい涙ではなくて、ぽろぽろとどこからともなく出てくる涙でした。どこからこんなに涙って出てくるんだっけ? うれしくて泣いていました。
子ども達が、純粋な気持ちで神様の話をしているのを、生まれて初めてこの目でみて。
純粋な、子どもたちの想いをストレートに感じました。思えば自分の子ども時代に、誰かと神様の話をしたことがあっただろうかと思いました。私は、ずっと神様を探していました。神様の話をしたかったのです。神様を中心にして、人と交わり、助け合い、愛し合い、成長し合い生きて、そして死にたいと思いました。何があっても、そばにいてくれる。私を助けてくれる。励ましてくれる。そして、愛を与えてくれる。そんな方を捜して、フィンランドまでわざわざ出かけたのだと思います。
ところが、どうでしょう。映像の子どもたちの心の中には、いつもイエス様と神様の愛があるようです。子どもでも、悩み苦しむこともあるでしょう。ですが、まっすぐな目で、イエス様を信じるといっているではありませんか。とてもシンプルなことですが、そのシンプルな事が、大人になると、どうしてか受け入れられないのです。わたしは、とてもかなしくなりました。自分の中に一番欠けている物。それは、こんなシンプルな神様の愛を、受け入れることだったのだとは、分っていませんでした。
愛を受け入れることができない状態で、自分を愛することができない状態で、生きることは辛い修行のようなものです。そして、そんな修行のような毎日は、これ以上必要ではありません。人生は、楽しむためにあるのです。苦しむためではないのです。すぐとなりに、神様の愛はあって。それを、受け入れるかどうかは、たった一つの自分の選択次第なのです。
それはまるで、満員電車を降りて、ほんの一駅だけ公園の近くを、空を見上げながら歩く小さな勇気に似ています。そして、御茶屋さんでゆっくりと、佃煮つきのお汁粉とお抹茶をいただくような、そんなほっくりとした気持ちに似ています。パソコンの電源をおとして、芝生の上で大の字になって、大きくのびをするようなすがすがしさに似ています。
蝋燭に火を灯して、友人と時間を気にせず、語り合う時間に似ています。どんなときでもイエス様に話しかければいいのです。イエス様は、今この同じ部屋に一緒にいて、私の隣にいてくださって、私をじっと観ていてくださる。私も神様をいつも隣に感じて、たとえ、家族や友人が神様が、神様など信じないと言ったとしても。彼らが、神様の愛に気がつくことができるよう祈り続け。私のやるべきことを全うすることができるようになりたいと思います。小さな奇跡、神様が準備してくださっている沢山のプレゼントの一つ、それが、このDVDでもあると思いました。ボランティアでこのDVDの制作に関わっている方も沢山いると思います。とても素敵なことです。1人でも多くの方が、このDVDを通して、子どもたちのまっすぐな想いを感じて、神様の愛を素直に受け取っていただけたらと思わずにはいられません。DVDを観させてくださってありがとう、そして、制作に関わっているかたに感謝しています。ありがとうございます。 HANNA